プロフィール

[chat face=”400.jpg” name=”ぼの” align=”left” border=”green” bg=”none” style=”maru”]こんにちは!webライターのぼのです。2人の男の子を育てながら家で仕事をしています。[/chat]

この度は「ぼのとWebライターになろう」へアクセスしてくださりありがとうございます!


プロフィールページでは、私がWebライターになった理由や実績について触れています。

Webライターになりたいなと考えてるあなたに少しでも身近に感じてもらえたら嬉しいです。

ぼのがWebライターになった理由

私がWebライターになったのは2人の子育てがきっかけでした。

学生の頃に栄養士、調理師、栄養教諭2種、MOSワード、、、など様々な資格を取得。

学校卒業後の23歳で結婚し、夫と2人暮らしを始めます。

結婚後は引っ越した先で”栄養士・調理師”として総合病院の厨房で仕事をしていました。

仕事をしながら私は、男の子2人を年子で産みました。

私は栄養士としての仕事が大好きで、職場の雰囲気もとても良かったです。

1人目の時も2人目の時も、大きなお腹で厨房に立って、産休ギリギリまで仕事をしていました。

「2人目の育休が終わったら、また戻ってくるね!」

と職場のみんなに約束し産休に入りました。

産休中も、何度か打ち合わせや手続きに顔を出し、保活も頑張っていました。

ところが復帰目前になり、夫が首都圏から九州へ急に転勤することが決まったのです。

夫の転勤が急に決まり専業主婦になり、息子の障害がわかる。

元々、転勤のない部署にいたはずの夫ですが、社内の規定が変わり転勤の対象になったのだとか。

そんな事情を全く知らず、大きなショックを受けてるうちに、あれよあれよと荷造りがはじまし、仕事を泣く泣く辞める手続きをし、九州の地に降り立っていました。

初めて住む土地で1歳児と3歳児の年子との生活が始まりました。

上の子は引っ越す前から発達の遅れを指摘され総合病院で検査を受けていました。

引越す時に、九州の子供病院の紹介状をもららったので荷物の整理が落ち着いてから病院へ行きました。

長男を担当してくれた先生は丁寧に診察と検査をしゆっくりと私にあるとこを告げました。

担当医「お母さん、息子さんは発達障害と知的障害があります。この子は障害児です。」

初めて住む土地、なれない専業主婦業の中、この瞬間に我が子が障害児になりました。

まだ住みなれない家に帰宅した私は、集めていたリクルート雑誌をゴミ箱に泣きながら捨てました。

九州でも保育園探して、仕事も探して、資格も経験もあるからすぐ見つかるといいな。という思いは消え去って「私は何をすればいいのか。」と途方に暮れました。

収入が欲しい!ブログサイトの運営を再び始める。

障害児の長男は福祉サービスの申請をし、親子で社会生活を学ぶために療育への通所が始まりました。

療育への親子通所は週3回10:00〜14:00の4時間で、療育園でお昼も長男と一緒に食べていました。

次男はその時間帯だけ別室で保育士の先生に預かり保育をしてもらっていました。

夫は子供が起きる前に仕事に行き、寝てから帰宅するハードな日々を送っていました。

とてもじゃないけど、外で昼間の時間に働くのは時間はありませんでした。

私自身、栄養士の仕事に対しキャリアプランを持って働いていて、ゆくゆくは管理栄養士の資格を取って病院に勤めるのが夢に見ながら、実務経験を積んでいるところでした。

キャリアを諦めなくていい夫に無駄な嫉妬をしたり、社会に馴染めない息子との生活に苛立ったり、誰も知り合いのいない土地で孤独を感じる日々を送っていました。

一番問題だったのが、共働きで得ていた収入が1馬力になってしまったことでした。

夫婦で「資格もあるし、すぐ仕事は見つかるだろう。」と安易に考えていたせいもあります。

療育にかかる費用と次男の保育代の請求の支払いも安くありませんでした。

外に働けない自分の収入をどう補ったらいいのか、頭を抱えました。

悩んでいるときに、ふとあることを思い出しました。

私は独身の頃に、保育施設で栄養士の仕事をしていました。

やりがいのある仕事でしたが、給与が安かったのが唯一の不満でした。

そこで副業で化粧品の口コミサイトを友人と運営を始めました。

結果として、月々5万円弱の副収入を稼ぐことに成功し、とても充実していました。

友人の結婚を機にサイトを手放したことを思い出し、個人でも稼げるブログを始めようと考えサイトを立ち上げました。

GoogleのAdSense広告で稼ぐ方法を独学でなまび、アドセンス通過し、記事を投稿していきました。

稼げないブログ、メンターとの出会いに運命を感じる。

私が独身の時にやっていた、化粧品の口コミサイトは「アフィリエイト」で稼ぐ方法でした。

私が個人ブログで選んだ「クリック広告で収入を得る」のはアフィリエイトで稼ぐのとは、また違った難しさがありました。

記事を書いても書いても、思うように稼げない日々が続きました。

1ヶ月100円、2ヶ月目は800円、3ヶ月目は1200円といった調子で、一体いつになったらお金になるのか。

自分のやり方に不安になった私は、「ブログの先生(メンター)」を探そう!と考え、ブログの稼ぎ方を教えてる人を検索しました。

大抵の人は、無料のメルマガでブログのノウハウを公開していたので、公開してる人のメルマガは全部登録しました。

教わるのは有料ですが、ブログを1から教わるコンサルは決して安い値段ではありません。

専業主婦なのに、こんなに払っていいのか。成果が出なかったらどうしよう。」

とか

「会ったこともない人に、この金額を支払って、詐欺だったらどうしよう。」

と不安になったりもしました。

またコンサル生を募集してる人は当時は大抵が男性のコンサルタントでした。

中学校から大学までずっと女子校育ちだったため、できれば女性に教わりたいと考えていました。

どうしようと悩みながらTwitterをいじっていると、自分と同じ専業主婦から成功したエピソードを持っているブログ経験者のツイートがたまたま目に入りました。

速攻でメルマガに登録すると、コンサルを始めるから生徒を募集してます!という通知が届きました。

「私は、この人に教えてもらいたい!!きっと今の状況を突破するために必要な投資だ!」

と速攻で応募しました。

コンサルを受ける中でWebライターの道へ!やっと叶えた目標と大きな収入。

webコンサルで、最初の1年目は自分のブログで稼ぐ方法をメンターから学び頑張っていました。

この間に九州からまた首都圏へ転勤が決まり、引っ越しもしました。

同時に下の子も知的障害があることがわかり、兄弟揃って療育に通院に追われる日々が始まりました。

下の子も療育が必要になり、通所に親が付き添わないといけない回数や病院の通院が増えていきました。

子育てにいっぱいいっぱいになり記事を書けない時期もあり、どうしたらいいのかとまた悩み始めてるうちにコンサル1年目が終了間近になりました。

「思うように実績を作れなかった、どうしよう」と落ち込みました。

そんな時にメンターから「サイトを運営する時間を作るのは難しくても、記事を書くスキルはあるからWebライターを始めるのはどう?」と提案をもらいました。

Webライターとしてスタートし、1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と月日が順調に流れていきました。

サイト運営とは違い、書いた分だけお金になるWebライターは稼ぎが安定する、安心感がありました。

ところが、Webライター4ヶ月目で私は若年生更年期障害になってしまいました。

順調だった更新頻度もストップし、体調が非常に悪く、寝込む日々が続き記事も書けなくなりました。

「もうだめだ、記事も書けないどころか、寝込むことしかできない。」

と布団の中でメソメソした日もありました。

そんな時にメンターが音声通話で励ましてくれて、私を大きく支えてくれました。

おかげて、体調が落ち着いてから挫折することなく記事を書き始めることができました。

またコツコツと記事を書きながら、子供たちと療育に行く日々が続いていきました。

Webライターとして記事を書き始めて、8ヶ月目に月間40万pvを超えることができました。

さらに、9ヶ月目には大きく波に乗り月間160万pv超えを達成し、月収22万円を稼ぐことに成功しました。

今まで書いた記事1つ1つが小さな額でも収益になり、私のライター業の収入に反映されています。

子供たちはまだ幼く、平日の10:00から16:00は2人の子供の療育に付き添う生活が続いています。

そんな中でも、自宅でパソコンに向き合ってWebライターとして記事を書いてきた結果、外でパートで稼ぐ額よりも大きな金額をライター収入として得ることができました。

Webライターなら、子育ても収入も諦めなくていい!!

個人ブログの立ち上げから3年が経ち、最初に思っていた「栄養士で働いてた頃の月収を家で稼げるようになりたい」という目標を、Webライターで稼ぐことができました。

障害のある子を育てている母親の就労率は、健常児を育てる母親よりもとても低いと言われています。

大きな要因の1つは子供に時間が取られすぎるからです。

気軽に預けることもできないですし、就学しても支援学校は14時には下校時間になります。

放課後ディサービスの利用が難しければ、幼稚園児の預かりと同じくらいの時間しか子供が外出しません。

もちろん、その時間帯でもパート就労は可能だと思いますが、夏休みは普通に7週間ほどあります。

その間に、学童保育のように障害児を預かってくれる場所は多くありません。

子供自身に定期的な通院もあるため、その都度仕事を休む必要もあります。

Webライターのいいところは、時間の都合は自分でつけられるところです。

子供にの予定に合わせて、スキマ時間で自宅で仕事をすることができます。

私の好きな名言を1つ紹介します。

自分の夢に向かって確信を持って歩み、自分が思い描く人生を送ろうと努めるならば、きっと思いがけない成功にめぐり合うだろう。

If one advances confidently in the direction of his dreams, and endeavors to live the life which he has imagined, he will meet with a success unexpected in common hours.

これはアメリカのソローという作家の残した言葉です。

私は子供に障害があると分かった時、一度自分の仕事に対する夢を諦めました。

学生の頃から必死に勉強し、管理栄養士を目指して実務経験を積んできた時間を手放すのはとても心が痛みました。

療育先で知り合った、障害児を育てるママたちは「子供のケアで1日が終わる。預け先もないし、働くのは難しい。」「働きたくても働けない、心身ともに辛い」と悩んでいる人もいました。

私も「働きたくても働けない」もどかしさや辛さを抱えていました。

その反面、どこかで諦めたくない自分がいました。

管理栄養士にはなれなかったけど、自分と子供と調和の取れる働き方がきっとあるはず。

家族を優先しても稼げる方法を身につけて、暮らしの楽しみを増せる道を親子で一緒に歩くのが私の新しい夢になりました。

夢に向かって、頑張った結果、私は栄養士の時と同じだけの月収を得られるようになり、思いがけない成功をすることができました。

Webライターになって叶えられたこと

子供のケアやサポートに全力で取り組みながら収入を得られた。

目標を達成できたことで、自分に自信が持てた。

収入がないことへの不安が解消しメンタルが安定した。

家庭以外に自分の活躍できる場所ができて、自分の価値を感じられた。

メンターやコミュニティを通じて一緒に頑張れる仲間に出会えた。

夢を持ち続けられたのは、メンターやコミュニティのみんなと出会えたからです。

一人だったらきっと、夢は所詮夢の中で見るものだったんだと気持ちが挫けていたと思います。

もし、私のプロフィールを読んで、おうちで稼げるWebライターという働き方に対して「夢や希望」を感じたり「Webライターになってみたい」と思った人がいたら、ぼのと一緒に頑張ってみませんか?

一人では頑張れないことも、人と一緒なら頑張れることってたくさんあると思います。

Webライター仲間が増えてくれたら、私も嬉しいです。

ぼのと一緒にWebライターを始めてみようかな。仲間になってみようかなと思った人に向けて、公式ラインでWebライターのノウハウや情報発信をしています。

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